スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 スポンサー広告 ∧top | under∨
自動車絶望工場 ある季節工の日記
2007-07-03 Tue 08:45
自動車絶望工場―ある季節工の手記 (講談社文庫)






「ベルトコンベアは見ているのと、実際仕事をしているのとではスピードがちがう」


 電機工場の女子労働者の一言がジャーナリスト鎌田慧を強く打った。
 著者は、ライン工場で働く人々の精神的肉体的疲労を体感するため、自ら季節工として半年間トヨタに身をおいた。
 トヨタ入社後、著者はミッションの組み立てラインに配属される。そこで見たものは秒刻みで管理される生産ラインだった。会社は生産台数を増やすため、どんどんラインのスピードをあげる。ラインの無理な加速により、次々と起こる労災。機械につぶされていく、労働者達の何本もの指。


 「プレスですべってしまって、アゴひっかけただ。そんで顔がペロっとなくなったのがいたよ。型は血でいっぱいだったとよ。」

 「昼休みに、鍛造機を掃除しててよ、あとでスイッチを入れたら、腕や指が出て来たのもあるよ。一人行方不明になってしまって」(p177)


 著者が目にしたのは、生産の合理化を推し進めた末できあがった危険かつ非創造的な労働環境だった。

 著者が季節工としてトヨタに入社したのは、1972年9月。少し前に、北米に建設されたトヨタの工場を特集したNHKの番組を見た。番組の中で、トヨタの上役は、現地の社員が働くことに喜びを見出せる労働環境を備えることが大事というような発言をしていたかと思う。

現在では、かなり労働環境が改善されているのだろうか。

しかし、今のトヨタの異常に安定した収益性を考えると、やはりまだどこかで労働者に無理な負担を強いているのではないかと勘ぐってしまう。誇張や主観が入り混じっているかもしれないが、日本をひっぱる大企業の印象を、がらりと変えてしまう一冊だった。
スポンサーサイト
別窓 ノンフィクション コメント:0 トラックバック:0 ∧top | under∨
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
2007-05-20 Sun 11:31
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日

柳田 邦男



 作家柳田邦男による、実の息子「洋二郎」の脳死をめぐる手記。
 タイトルは、ロシアの映画監督タルコフスキーの作品『サクリファイス』に由来する。同映画では、「われわれが平穏な日々を過ごしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからではないか」という信仰的思想が、寓話的に描かれている。
 洋二郎はこの作品に深く感動し、骨髄ドナーの登録を決心する。
 その後、洋二郎は脳死に陥るが、父である著者はそんな息子の意志を汲み取り、家族との相談の上、洋二郎の臓器を提供することを決心する。

 本作は、心を病んでいた洋二郎の苦悩が描かれるとともに、脳死を人の死とすべきかという、議論を深める貴重な論点を投げかける。
 第三者的な立場であれば、脳死をもって人の死としてもよいのではと考える人間が、少なくないと思われる。しかし、脳死を人の死と認めると、日本の医療現場の現状では、失うものも大きい、と著者は危惧を抱く。

「なぜなら、死にゆく者の命も、臓器移植を待つ者の命も、等価であるはずなのに、脳死・臓器移植論の中では、死にゆく者=患者・家族全体を包む精神的ないのちのかけがえのない大切さに対しては、臓器移植を待つ者の命の千分の一の顧慮も払われていないからだ。」(p148)

本書によれば、政府の脳死臨調の最終答申に対する見解をまとめた文献で、次のような現場の実態が述べられているという。

「集中治療室の看護婦の一人は、脳死のこどもを看護している際、ある教授が毎日やってきて、『まだ、死なないか』と聞くと言って怒っている。」(p149)

脳死を人の死と認めるにあたり、医療現場では、命の重さに差異が生じる可能性がある。

 ところで、洋二郎は大江健三郎の作品を好んで読んでいたが、その中で一つの言葉に出会う。


  “indestructibility”(破壊し得ないこと)


 「(中略)自分は病いに苦しんで、もう長く生きないかもしれないけれども、この世に生きて苦しんでいたということは誰もそれを否定できない、それをなかったことにはできないと自分は思った(大江健三郎『人生の習慣』より)」(p208)

 こころの病に苦しむ洋二郎は、この言葉を知り、生への支えにしようとしていた。私はこの部分を読んでいて、洋二郎と苦悩をともにした著者の家族にもこの言葉があてはまるような気がした。
 著者が洋二郎と語り合った時間、これもまた”indestructibility”なのではないかと。

別窓 ノンフィクション コメント:0 トラックバック:0 ∧top | under∨
新聞記者で死にたい
2007-02-23 Fri 23:12
新聞記者で死にたい―障害は「個性」だ 新聞記者で死にたい―障害は「個性」だ
牧 太郎 (1998/04)
中央公論社



やり手の週刊誌編集長、

思わぬときに「地雷」を踏んだ。

脳卒中である。

言葉が出ない。

会社の席が気になる。

男の頭にちらつくは、死の誘惑。


著者の仕事への情熱がひしひしと伝わる作品。

大きな情熱を傾けてきたからこそ、

仕事ができなくなったときの落胆は計り知れない。

同じ病院に入院していた弁護士は、外泊が許されたとき、

死を選ぶ。

著者はそれでも記事を書き続け、自由とは何かを

改めて問う。

ところで、著者は地下鉄サリン事件が発生する前から、

オウムの奇行に関する記事を執筆していた。

その記事を巡って、オウムからのいやがらせが

連日続いていたのだが、著者が倒れたのはそんなときだった。

入院中、身動きのできない著者は、常にオウムの強襲に身構える。

これほどの覚悟がないと仕事が務まらないのかと、

暴力に屈さない著者の姿勢に頭が下がる。

外からも内からも、迫り来る障害。

それを乗り越える著者のバイタリティは何ものにも代えがたい。

別窓 ノンフィクション コメント:0 トラックバック:0 ∧top | under∨
戦争広告代理店
2007-02-20 Tue 22:20
ドキュメント 戦争広告代理店 ドキュメント 戦争広告代理店
高木 徹 (2005/06/15)
講談社

この商品の詳細を見る


米PR会社のメディア戦略により、ボスニア紛争の戦況が

大きく変わる瞬間を描いたドキュメンタリー。

セルビア人との紛争が激しさを増す中、

ボスニア外相は助けを求めて飛び立った。

向かった先は、米大手PR会社。

メディアを武器に、宿敵セルビアに悪のレッテルを貼り付ける。

国際世論を味方につけたボスニアは、ついにアメリカを動かす。

ボスニアのメディア戦略に対抗し、セルビアが起用したのは、

アメリカ在住セルビア人パニッチ。

多くのPR会社に支援を求めるパニッチだったが、

ことごとく支援を断られる。

悪玉セルビアのイメージはすでに深く浸透していた。

時はすでに遅かった。


本書では、メディアが戦争の勝敗を左右しうるのだという

衝撃的な提言を行っている。

情報には疑ってかかるべきだという考えは、「あるある~」の事件

もさることながら、すでに広まっている。

しかし、戦争のような規模の大きいものにまで影響を与えるという

事実は、案外知られていないのではないか。

このボスニア紛争での教訓を生かす場は広い。


別窓 ノンフィクション コメント:0 トラックバック:1 ∧top | under∨
 機械材料加工学Ⅱ 

最近の記事

プロフィール

kkaazz2000

Author:kkaazz2000
技術系。神奈川在住。

歴史から消えつつあるカルト映画たち。さもありなんという作品から、なぜこれがという作品まで。そんな不可思議な世界にはまりつつある今日この頃です。

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。