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犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
2007-05-20 Sun 11:31
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日

柳田 邦男



 作家柳田邦男による、実の息子「洋二郎」の脳死をめぐる手記。
 タイトルは、ロシアの映画監督タルコフスキーの作品『サクリファイス』に由来する。同映画では、「われわれが平穏な日々を過ごしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからではないか」という信仰的思想が、寓話的に描かれている。
 洋二郎はこの作品に深く感動し、骨髄ドナーの登録を決心する。
 その後、洋二郎は脳死に陥るが、父である著者はそんな息子の意志を汲み取り、家族との相談の上、洋二郎の臓器を提供することを決心する。

 本作は、心を病んでいた洋二郎の苦悩が描かれるとともに、脳死を人の死とすべきかという、議論を深める貴重な論点を投げかける。
 第三者的な立場であれば、脳死をもって人の死としてもよいのではと考える人間が、少なくないと思われる。しかし、脳死を人の死と認めると、日本の医療現場の現状では、失うものも大きい、と著者は危惧を抱く。

「なぜなら、死にゆく者の命も、臓器移植を待つ者の命も、等価であるはずなのに、脳死・臓器移植論の中では、死にゆく者=患者・家族全体を包む精神的ないのちのかけがえのない大切さに対しては、臓器移植を待つ者の命の千分の一の顧慮も払われていないからだ。」(p148)

本書によれば、政府の脳死臨調の最終答申に対する見解をまとめた文献で、次のような現場の実態が述べられているという。

「集中治療室の看護婦の一人は、脳死のこどもを看護している際、ある教授が毎日やってきて、『まだ、死なないか』と聞くと言って怒っている。」(p149)

脳死を人の死と認めるにあたり、医療現場では、命の重さに差異が生じる可能性がある。

 ところで、洋二郎は大江健三郎の作品を好んで読んでいたが、その中で一つの言葉に出会う。


  “indestructibility”(破壊し得ないこと)


 「(中略)自分は病いに苦しんで、もう長く生きないかもしれないけれども、この世に生きて苦しんでいたということは誰もそれを否定できない、それをなかったことにはできないと自分は思った(大江健三郎『人生の習慣』より)」(p208)

 こころの病に苦しむ洋二郎は、この言葉を知り、生への支えにしようとしていた。私はこの部分を読んでいて、洋二郎と苦悩をともにした著者の家族にもこの言葉があてはまるような気がした。
 著者が洋二郎と語り合った時間、これもまた”indestructibility”なのではないかと。

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Author:kkaazz2000
技術系。神奈川在住。

歴史から消えつつあるカルト映画たち。さもありなんという作品から、なぜこれがという作品まで。そんな不可思議な世界にはまりつつある今日この頃です。

 
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